nudge

【ナッジ】

社会には生理がある。多分。

こんばんは。永嶋です。

 

パソコン壊れました(泣)

 

でも、よい機会なので、Windowsでもなく、Macでもなく

 

Chromebookを買って体験してみることにしました。

 

仮説を立てて小さく試す…うむ。

 

ドラッカーは自らを、社会生態学者としていたのですが

 

社会には生理のようなものがあると考えてた節が。

 

カール ポランニーなんかもそうですね。

 

二重運動論とか

 

二重運動論て、市場経済が肥大すると、社会が自己防衛のために、対抗する運動を起こすんだ、てなものです。

ウイルスが侵入すると自己免疫が働くみたいに。

大体はその免疫が新たな悲惨を生んだり…ファシズムとか。

 

社会には生理がある。

その生理は、人々を階層化する傾向がある。

これは一体なんなのか?

 

↑個人的に、死ぬまでに解きたい謎です。

 

個人も社会も生理には抗えないんです、きっと。

少なくとも、決意や理性では。

 

 

 

 

所を得ることについて

こんばんは。永嶋です。

 

如是我聞。

先日、ある障害者就労支援について研究、実践をなさっているステキな方とお話をさせていただく機会を得ました。

その方のなさっていることついて、私は「人が所を得る可能性をめぐるチャレンジ」なんだなという解釈をしました。

 

人が所を得る可能性=人が職で力を発揮する可能性

 

これに私はどう関われるだろうかと考えるに……

なかなか所を得られなかった半生を生きてきたので、その当事者性をもって関われるかもと思いました。

 

なにがしかの当事者性を生かして行う貢献

こんばんは。永嶋です。

 

「私ピアサポートに関わっちゃってるんです♡」

宇能鴻一郎の官能小説風に書いてみても多分誰も喜ばない……

 

そもそもピアサポートを始めたとき、 これをやっていれば、どうしようもない人生を生きた自分でも自尊心を保てるだろうという目論見がありました。

 

今、改めてピアサポートという輸入された言葉を使わずに

 

「なにがしかの当事者性を生かして行う貢献」

という言い方をするならば

 

誰にも気づかれないほどにささやかな

 

足跡を残さないような

 

なんてことのない日常に埋没してしまうような

 

ただ自身を生きているだけにしか見えないような

 

寄り添うなどと言う言葉が登場しないような

 

自分の行いが、そんなものであってみれば、まあまあマシな貢献が出来たと言えるかもしれないと思います。

 

師匠筋の一人◯◯さんに不躾ながら敬意を込めて

「◯◯さんのいい加減さにいつもたじろいでしまいます」

と言ったとき

◯◯さんが

「私はいい加減ですか?」

と、いくらかのキッとした怒りの表情で言われ

 

「ああ、自分がこの人から学ぶべきことはこれだろう」

と合点がいったり。

目的地(ビジョン)は簡単に言語化できない

こんばんは。永嶋です。

 

最近、人生の目的地(ビジョン)をざっくりと言語化できるようになりまして。

 

なぜ言語化できるようになったのか?

 

おそらく

残された時間を意識する年齢になったため、選択肢が減り、迷いも減ったことと

それなりに長い時間生きてきたため、多少のトライアンドエラーで自分の特性がつかめたことが大きな要因だと思っています。

 

わずかな天才しか、人生の目的地を若い頃に定めることなどできないというのは、おそらく本当だと思います。

下手すると死ぬまで目的地が分からず終わることもありそうです。

 

「まず目的地を決めましょう」という専門家がいたら

 

目的地の見当をつけることがそもそも人生の難事だということから考えて

「この人を信じて大丈夫かしら?」と思ったほうがよいかもしれません。

 

ゴールと環境について

こんばんは。永嶋です。

 

自身の周りの問題の整理をします。

 

人の行動は

ゴール

プロセス

現状

に分けることができる。

 

ゴールも分類することができる。

 

プロセスがはっきりしていて、達成しようと思えば達成できるゴールと

 

プロセスが分からない、または分かっても実行できないゆえに達成が簡単ではないゴールに。

 

前者は、例えば、

朝ごはんを食べる

トイレに行く

テレビを見る

ゲームをする

など

 

後者は

新しいことを始める

スポーツ大会で優勝する

テストに合格する

会社を黒字にする

依存を克服する

など

 

基本的に後者の方が難しい。

 

前者の生活に慣れた人が一念発起して、後者の生活にチャレンジしようとするとき

 

環境がとても大切になる。

 

環境の中でとくに重要なのが

善き友人や先輩で

 

チャレンジした人はわかると思うが、善き友人、先輩無しでは

どうしても引力に負けるように、高い確率で前者の暮らしに戻る。

 

同じような境遇の人に会うと

「自分と同じような人がいた!」という驚きが生きる力になることがある。

それは大事。

 

大事なのだが、その先のチャレンジの資源にその関係性がなる保証はない。

 

もし、このままでは嫌だと思ったら

やらなければならないのは

前者にとどまる資源を減らして

後者に踏み出し、かつそれを成功するための資源は増やすこと。

↑これを一人でやるのは、とても難しい。

 

そこに善知識としての友人、先輩、支援者、上司…立場はなんでもよいが、とにかくそういう人がいる必要がある。

ダメなままでもいいみたい?

こんばんは。永嶋です。

 

わたしのそもそもの出発点

人生の大半を囚われていた思考

「ダメな人生をなんとかしたい」

 

今回、気づきました。

 

自分が関心を持つもの

ドラッカー

占い

コーチン

ミルトン エリクソン

行動分析

層の理論

仏教

 

ことごとく

「ダメな人生をなんとかすること」に使えそうななにかです。

(占いとコーチングは、その実用性について、かなりの疑問を感じますが)

 

もう、とにかくダメな人生が嫌で嫌で仕方ない。

鏡に映ったみにくい自分の姿は見たくない。整形したいわ!みたいな…

 

当然

「ダメなままでもいいんだよ〜」的なものにはまったく興味を示さないのです、わたくし。

 

ただ、ダメが嫌なわりには、現状を冷静に捉えることをしない傾向があり、何だかんだで現状維持になっていました。

 

さらに、心理操作的なものを自分に適用してなんとかしようとする試みは、実は失敗する確率が高いものなのだというところまでは、たどりついています。