nudge

【ナッジ】

考えの限界に気づく場があったらいいんだな

生きる力になる「考え方」として

 

これは、いいね!と思えるものは

 

「考え」と「考えじゃない命の働き」を分けるって考え方ですね。

 

お腹が空くとか

眠くなるとか

おしっこ行きたくなるとか

 

考えじゃないですもん。

 

考えじゃない方が命のベースでしょう。

どう考えても。

 

それに気づいたほうが、「考え」も、まともになるんじゃないかしら?

 

気づいた上で、気づいた人同士で、ワークショップやるとかファシリテーションやるとか、いいなと思います。

でも、気づかないで、やってもね……少し虚しい。

「考え」をのべる場になってはいるが…「考え」の限界に気づく場にはなっていないので。

考えなくてもいいことまで考えたり。

そこが、ワイが、ほとんどのワークショップをつまらないなと思う要因です。

 

そうだ…考えの限界に気づくワークショップなら、お金払っても出たいんだ自分。

 

 

ギャンブルやお酒をやめられない人同様に、考えることをやめられない、ある種の依存症的なところが自分にはあるんで。

考えは所詮考えなんだ、と考えることが、依存からの脱却にあきらかに役立ちますね。

働いてみる時間で得た教訓。苦手を克服するよりは、楽にできることを一生懸命やるほうがよい。

こんばんは、永嶋です。

 

なんだかんだ三年以上、ひきこもりの自助グループとして、当事者にカスタマイズされた働き方を模索してきました。

(その活動もそろそろ終わらせます…継続には、官民含めて様々な連携ネットワークが必要ですが、それは多分かなりコミュニケーションコストが高いだろうと悟って)

 

わたくし自身、ひきこもり経験者です。

ひきこもりを脱した後は、自助グループという枠の中で、当事者にカスタマイズされた短時間のお試し労働のようなものを企画実施してきました。

「働いてみる時間」という名のプログラムとして。

 

蓄積したノウハウは大してありません。

が、一度始めると、わりと長期(半年〜2年程)でプログラム参加を続ける人が複数(10人弱)いたので、そこで参加者とともに気づいたことを備忘のため書いてみます。

 

シンプルに2つだけ。

 

①仕事の中身で、この人はこの要素が苦手でしんどくなるんじゃないかと思えることの仮説を立てて、その要素だけは取り除いて試してみる。

 

②仮説が間違えてたなと思ったら、引き返す。

 

要するに、この苦手要素を取り除けば、わりと楽にできるんじゃないかなと仮説を立てて、試してみて、楽にできていないなと思ったら引き返すということですね。

たまたま、なりゆき、わきみち

こんにちは、永嶋です。

 

非営利活動もやっていたため、ここ数年多くの方々に会ってきました。

 

有機的な地域連携ネットワークが山梨ではなかなか難しいなと感じていて、非営利活動をそろそろ辞める予定ですけど、この数年で得た教訓、ノウハウで、今少し行き詰まってる人に役立ちそうなことを一点あげるとしたら。

 

出会う人に、「どうして今の仕事をするようになったんですか?」とたずねての答え。

 

「別のこと目指して動いてたら、たまたま今の仕事に関係する人に出会って誘われて、やってみたら意外とうまくできた」

「働いていた会社が潰れた。困ったが、お得意さんも困ってるんで潰れた会社の機械を譲り受けて、自分で仕事を始めて、そのまま今も続いてる」

「堅い勤め先で働いていたが、ストレスで退職した。フランチャイズのオーナーでもやるかと考えたが、たまたま病気で店を売りたい人と出会って、その店を引き継いだ」

 

意外と最初からの計画通りに今に至った人は少なく、たまたまとか、なりゆきとか、最初の自分の狙いとは別のことで今がある人がとても多かったです。

 

今のためにずっと努力してきたことで花開いた人もいるんでしょうけど、わりとそうじゃなくて、出会って、その話に乗ってやってみての今、みたいな人たくさんいました。

 

私もそんな流れで今があるんで、自分と同じような人いるんだねーと思った次第。

最後に

ご無沙汰、永嶋です。

 

わたくし、元ひきこもりなんですが、地元でその関係の自助グループやったり、行政絡みの諸々に首を突っ込んできたりしたのですが、そこからそろそろ引退しようかと考えています。

本当に有機的な官民協働とかってやっぱり無理かもねという思いが強くなってしまってのこと。

で、活動終焉に向けてなのですが、最後のご奉公として、以下のことやれたらいいなと思っとります。

 

①社会適応訓練事業の制度を使ったちょっとした当事者への貢献

②ひきこもりに関する啓発DVDの上映会企画をある団体に持ち込む

 

これやって終われたらハッピーエンド。

社会には生理がある。多分。

こんばんは。永嶋です。

 

パソコン壊れました(泣)

 

でも、よい機会なので、Windowsでもなく、Macでもなく

 

Chromebookを買って体験してみることにしました。

 

仮説を立てて小さく試す…うむ。

 

ドラッカーは自らを、社会生態学者としていたのですが

 

社会には生理のようなものがあると考えてた節が。

 

カール ポランニーなんかもそうですね。

 

二重運動論とか

 

二重運動論て、市場経済が肥大すると、社会が自己防衛のために、対抗する運動を起こすんだ、てなものです。

ウイルスが侵入すると自己免疫が働くみたいに。

大体はその免疫が新たな悲惨を生んだり…ファシズムとか。

 

社会には生理がある。

その生理は、人々を階層化する傾向がある。

これは一体なんなのか?

 

↑個人的に、死ぬまでに解きたい謎です。

 

個人も社会も生理には抗えないんです、きっと。

少なくとも、決意や理性では。

 

 

 

 

所を得ることについて

こんばんは。永嶋です。

 

如是我聞。

先日、ある障害者就労支援について研究、実践をなさっているステキな方とお話をさせていただく機会を得ました。

その方のなさっていることついて、私は「人が所を得る可能性をめぐるチャレンジ」なんだなという解釈をしました。

 

人が所を得る可能性=人が職で力を発揮する可能性

 

これに私はどう関われるだろうかと考えるに……

なかなか所を得られなかった半生を生きてきたので、その当事者性をもって関われるかもと思いました。